小論文でテーマを論じるな。テーマは「語る」べし。

難しいテーマで文章を書き上げようとすると、誰かの受け売りのような平凡な文章に陥ってしまいがちです。これはテーマを「論じよう」としているのがいけないのだと小泉十三氏は言います。テーマは「語る」べきだというのです。

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小論文で「論じるな」とは

小論文では与えられたテーマにそってとにかく何かを纏めることが要求されます。「幸せな人生とは」とか「世界平和とは」とかいった高尚なあるいは茫漠としたテーマが提示されることも少ないでしょう。このようなテーマを正面から受け止めて文章を紡ごうとすると、凡庸・意味不明・あるいは上から目線でむかつくなどと評価されて終わることになりがちです。

『「頭がいい人」と言われる文章の書き方』(小泉十三著)にて、著者の小泉氏はテーマを「論じる」なと主張しています。テーマは「語るもの」だというのです。

小論文の内容は具体的であれ・オンリーワンであれ

「語る」とは具体的にどういうことでしょうか。私なりに小泉氏の主張を消化してみました。結論としては「筆者自身の実感に由来する具体例を通して見解を述べる」が「語る」ことだと理解しました。それには、次のようなアプローチを考えるのが良いでしょう。

  • 実体験を盛り込む...自分自身が経験した失敗経験・成功経験。家族や友人・知人が遭遇したトラブルなど。
  • (一見関係なさそうな)身近な話題から始める...これについては以前も書きました

ついでですから具体例を考えてみましょう。

せっかく当記事冒頭で例を出したので、ここではテーマ=「幸せな人生とは」としましょう。さすがにこのテーマで実体験というと、そのまんまなので却って考えにくいですね。「先年亡くなった父の人生は充実したものだったと思う」などと正面から書いてみても、なんとも平凡なエッセイにしかなりそうもありません。しかし、たとえばこういうのはどうでしょう。

高校生の頃の私にとって、父をダメ人間の見本でしかなかった。父は町中の小さな会社に勤めていたが、安月給の平社員で、上司はみな年下なのだ。私には父のことが落伍者だとしか思えなかった。こんな大人にだけはなるまいというのが当時の私の目標であった。ところが、そんな父に対して結婚式でぜひスピーチをと頼みに来る人がいる。Aさんは上司でありながら正月には必ず家族連れで年始の挨拶に来てくれる。どうも社交辞令というわけでもないようだ。高校3年の正月、いつものように年始に来てくれたAさんにたいして、私は父のようなどうしようもない人間のどこが気に入っているのかと尋ねてみたのである。返ってきた答は私が想像もしなかった内容で......退職した父は、いまとあるボランティア団体のリーダーである。かつての上司Aさんがサブリーダーだそうだ。Aさんは今もしばしば我が家を訪れ、父と二人で楽しそうに行動計画などについて話し合っている。

これは、私の説明の都合に合わせて、例として解りやすくなるよう適当に設定をでっち上げて書いてみた架空のエピソードです。この小論文の結論は「幸せな人生の形はひとつではない」と想定しています。この結論をまず提示しておいて上記のエピソードを挿入し、「地位や年収こそぱっとしなかったが、父はたしかに幸せな人生を生きているのだ」と結べば、きれいに完結するでしょう。

結論自体が平凡でも......

上で示した例において、結論自体はそれほど真新しいものではないでしょう。

ここで重要なのは、自分にしか書けないエピソードによって、そのような結論に至る理由・思考の道筋を具体的に見せることができるということです。ここに筆者の独自性を発揮できるのです。これが「語る」の内容だと思います。

こうしてオンリーワンな内容を入れ込んでこそ、他の誰でもないあなたが文章を書く意味がでてくるというものです。

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