ストーリーを完結させる力を鍛えるために「小話を覚えよ」

ストーリーは、文芸作品だけでなくビジネス文書やブログなどでも重要な要素です。ショートショートの大家として知られた星新一は、エッセイの中で「ストーリー作りの技術を上達させるには小話を覚えるとよい」と述べています。どういうことでしょうか。

- スポンサードリンク -

作文にはストーリーが必要です。何も小説に限った話ではありません。企画書や報告書にも、どんな成果が期待できるか、あるいはどんな成果を出せたかを読み手に納得させるための「ストーリー」の呈示が不可欠といえます。ブログの記事にも不可欠でしょう。読者の注意を惹き、共感を持ってもらい、結論(オチ)を受け入れてもらうためのストーリーの必要性は、文芸作品にも実用文にも共通なのです。

ショートショートの大家として知られた星新一が、そのストーリーづくりのセンスを鍛えるための具体的な方法を述べたエッセイがあります。エッセイ「SFの短編の書き方」(『気まぐれ博物誌・続』所収)によれば、それは「小話を覚えて人に話してみる」なのです。

「小話にはストーリー展開のエッセンスが詰まっている」のだそうです。気の利いた小話に出会ったら、それをただ読み過ごすのではなく、分析をしたりメモったりするのではなく、家族や身近な友人にそれを話してみる。それを念頭に小話をたくさん覚えてやろうという意欲が持続できるかが作品を書けるかどうかの分かれ道になるとまで、星新一は言っているのです。

「人の目」を気にする意義

こうして小話を披露するとして、相手を本気で感心させるのは簡単ではありません。星新一は、話が成功しない理由として次の4つを挙げています。

  1. 他人とはめったに感心してくれぬ存在である。
  2. 話し方が上手くない。
  3. 相手がすでに知っている。
  4. 強引に話を持ち出している。

2と4が話者の姿勢への直接的な指摘といえます。第2の理由について説明する際に、具体的なダメなパターンとして「さあ話すぞと意気込む」と星新一は言っていますが、これは実のところ4でいう「話を強引に持ち出す」を言い換えているだけとも見ることが出来ます。もうひとつのダメなパターンが「回りくどいこと」。

いろいろな切り出し方を試みては相手の反応を見、その結果をフィードバックしてさらに良い切り出し方を開発するのが大切だというのが、星新一がいいたいことのようです。

声に出してみることの意義

星新一は小話を人に話してみよと言っていますが、自分が作文しようとする文章な内容をまず周囲の人に喋ってみよというのは、彼のみならず色々な識者が主張しているところです。

私が思うに、声を出してみることには次のような意義があると思います。

  • 「書く」のとは異なる種類の作業を試みることで脳に刺激がもたらされ、発想力が喚起される。
  • 他者の目を気にすることで「解りやすい」文章を構築しようと本気で思える(無意識のうちに安易な方向に流れないようにする)。
  • 大抵の人にとってワープロを打つよりは声を出すほうが早いので、大枠の策定は声ベースでやってしまったほうが手っ取り早い。

まとめ

星新一の作品は膨大な取材や高度な専門知識によって紡ぎ出される大作というわけではありません。多くは原稿用紙数枚程度以下の短編です。しかし、プロットを組み立ててストーリーを完結させる作業の難しさは、短編でも長編でも変わらないはずです。

星新一は生涯に1000をゆうに超える短編を発表しています。このような偉業を成し遂げた彼のエッセイには大いに参考にする余地があるといえるでしょう。

このエントリーをはてなブックマークに追加
執筆xyz公式ツイッターアカウント@tsuzurikataにてコメント/フォロー受け付けています。

- スポンサードリンク -