汚い言葉も時には必要

「保育園ブログ」で使われている言葉の「汚さ」には見習うべきものがあるという話です。

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最初に断っておきますが、今回この記事で述べていることはビジネス文書や受験用の小論文などには全く適用できないお話です。焦点となるのは、ブログなどに代表される「パーソナルな文章」のあり方です。

かつて某ブログサイトでブログデビューした頃、私は自分には受け入れられない主張や人物を遠慮無くこき下ろす記事を頻繁に書いていました。その結果、ずいぶん批判的なコメントも頂いたし、しつこく粘着してくる人も現れて、ブログが一時はまあ一種の「炎上」状態になったりもしました。

世の中には記事中に「バカ」の一語を含めただけで柳眉を逆立て説教しに来る方々も結構いらっしゃいます。

しかしここへ来て、そうした主張が現実性を伴わない無意味なお題目にすぎないことを雄弁に物語る出来事が発生したわけです。いわゆる「保育園ブログ」を巡る一連の騒動がそれです。「口汚い」言葉で書き綴ったその文章が話題となり、ついに安倍政権も無視できないほどになりました。

そのブログを見習うべしとしているのが、カリスマブロガーのかさこさんです(「時には汚い言葉が必要なんだ」 保育園ブログ、著名ブロガーの驚き)。

上品な言葉では、スルーされちゃいますよね。あれが「保育園に落ちてしまいました」「私はどうなるんでしょう」だったら、世の中は動かなかったはずです。

全員に賛成してもらえると思うな」という記事にも以前書いたように、反発を食らってこそ文章を公開することの意義があるのです。これを恐れて読者に迎合して無難で上品なこと以外避けているのでは、結局のところ「書くことがなくなってしまう」のです。当たり障りないが、魅力もなく、省みるべき内容もない......そんな文章をいくらひねり出してみたところで、それは何も書かないのと変わらないのです。

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