読書感想文は本当に「感想文」なのか?

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読書感想文の「書き方マニュアル」なるものを配布した小学校があったそうで、その妥当性について議論が続いているようです。当ブログは基本的にハウツー系の話題提供を志向しているのですが、たまには筆者なりのオピニオンを書いてみようと思います。

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読書感想文の「マニュアル」に賛否両論

先週のasahi.comで見つけた記事です。

読書感想文マニュアル、あり?なし? 配布する小学校も

今夏、感想文の「書き方マニュアル」を配布した小学校があり、その詳細な内容をめぐってSNSで賛否両論の意見が飛び交った。感想文の指導はどうあるべきなのか。

twitterでのフォローを見る限り確かに賛否両論です。

批判意見の多くは、「マニュアル」というか「画一的指導」に対する抵抗感、あるいは感想文そのものに対する抵抗感に裏打ちされているように見えます。

一方で、学習初期の段階で「型」から入るのは悪いことではない、何にもないところでただ「書け」と言われても当惑しか無いとしてマニュアルを支持する意見も少なくないようです。

そもそも読書感想文とは何なのか

「自由に」はありえない

「だから、自由に思ったことを書けばいいんだよ!」と言いたい人がいるかもしれません。ですが、私に言わせれば「自由に思ったことを書けばいい」は欺瞞でしかありません。

「思ったことをありのままに」などと言われても、本当に「ありのまま」に書いたらまず本人以外それを読解することは不可能です。それは作文にならないし、教師も本当はそんなものを求めていないのです。

「自由に」が許されるのは日記のみです。人に読んでもらうことを前提とする以上、文章に「自由に」はありえません。読書感想文にも「目には見えないお約束」が厳然と存在し、そのお約束を守ることが暗黙のうちに要求されています。

感想がほんとうに自由だというなら、こういうことを書いても良いはずです。

  • 「こんなくだらない本を課題図書にするとは選考委員の馬鹿さ加減に呆れた」
  • 「主人公が迎えるハッピーエンドな結末をみて、人生こんなにうまくいくわけ無いと思った。所詮は作り事のお話だな」

しかし、こんな作文を本当に提出したら、ふざけるなと言われて書き直しを命じられてもおかしくありません。

これらの意見を読んでいるうち、「読書感想文とはなんぞや」という点において共通認識が作られていないことに本質的な問題があるのではないかと思い当たりました。

書かせている側はどう言っているのか?

ここで意外に思ったのがこの意見

「読書感想文がスラスラ書ける本」などの著書がある上條晴夫・東北福祉大学教授(58)も「読書感想文は読書体験をもとに論理的思考を鍛える作文活動なので、この程度の型は指導として示されていい」と感じたという。

読書感想文で論理的思考を鍛えるというのです。私が読書感想文に抱いていたイメージとは真逆のものです。そして、小学校で「感想文を書くときには論理的に文章を組み立てましょう」などと指導された記憶は全くありません。

そもそも「感想」と「論理的思考」とは相容れないものだと私は考えています。もし後者を目指すのなら、書かせるべきは「読書感想文」ではなく「小論文」とか「レビュー」ではないでしょうか。

感想といえば、「この本を読んで感動した、主人公の健気さに心打たれた、過酷な歴史に翻弄された人々のことを知り衝撃を受けた」などなどであり、それをまとめたものは「エッセイ」と呼ばれるものです。今の今まで、私は読書感想文とは特定の書物を読むという体験を題材としたエッセイだと思っていました。上條教授の言うことが正しいのであれば、小学生時代の私は、全く的はずれな努力を重ねて読書感想文を書いていたことになります。

読書感想文の総本山はどういう見解なのでしょうか?

読書感想文全国コンクール公式サイトの開催要領では、開催趣旨を次のように述べています。

  • 子どもや若者が本に親しむ機会をつくり、読書の楽しさ、すばらしさを体験させ、読書の習慣化を図る。
  • より深く読書し、読書の感動を文章に表現することをとおして、豊かな人間性や考える力を育む。更に、自分の考えを正しい日本語で表現する力を養う。

感想文のあるべき姿を述べているのは2番めですね。「感動を文章に表現」と「自分の考えを正しい日本語で表現する」です。微妙ですね。私にはどうしても「感動」を表現することと「自分の考え」を表現することが一つの文章の中で共存できるとは思えません。「感想」は論理とは無縁のもの。「自分の考え」とは自分なりの論理をまとめたもの。本質的に方向性が異なります。

これでは、結局どの方向に文章をまとめればよいのかわかりません。

ゴールが設定できていないことこそ問題

では、どう書けば良いのか? そこを教えるのこそが教育でしょう。しかし、その肝心の部分を私は小学生時代に教わった記憶がありませんし、ウェブ上の論評やつぶやきを見る限り、現在においてもそれが充分に実践されているようにはとても思えません。

問題の本質は、マニュアルそのものにではなく、読書感想文なるものの趣旨について生徒にも教師にも充分な理解ができていないことにあると思います。

結局、マニュアル配布の是非は?

ウェブ上を検索しましたが、私は残念ながら今回配布されたマニュアルなるものの中身を見ることは出来ませんでした。ですので、それを配布した人たちがどういうつもりでいるのかわからないし、全体としてこの営みが妥当なものであるか否かも結論することが出来ません。

しかし、「画一化を招く」などといってマニュアルの策定自体を否定する主張には強く反対します。

初学者にマニュアルは絶対必要です。音楽だって最初は音階を型どおりに演奏することを繰り返すところから始まります。それを「画一化」だと言って非難している人がいるとしたら、それは練習というものが解っていない愚か者です。作文において音階練習と同様のことをやっていけない理由は何処にもありません。

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