あなたの常識は他の誰かにとっては非常識かもしれない

常識というと誰もが共通に認識している知識と思いたくなりますが、現実には、みんなそう思っているはずだと貴方が勘違いしているだけのローカルルールに他なりません。人に読んでもらう文章を「常識」に頼って書いてはいけません。

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Yahooニュースの記事「ファミコンも江戸時代も、子供にとっては大昔」からの話題です。今の子供たちの考える「昔」と大人の考える「昔」の間には大いにギャップがあるようです。学校で出された課題をこなすために図書館に「昔の話」を調べに来る小学生がたくさんいるのですが、その「昔」の中身が驚くべきことになっているというのです。

その時に「いまの子にとっては1995年のコンピュータ以前は石器時代なんだよ」という説明を司書たちにしたのですが、今年はついに「テレビゲームを調べる」といって、いきなり、「この本なら出てるはず!」と『昔の道具』という本にまっすぐいった子がでた、という話になりました。     

それは、たらい、とか、かまど、とかが載ってる本で、

ここで忘れていはいけないことは、このような図式は子供のみならず大人の間でも成立し得るということです。

情報工学やバイオテクノロジーなどの進歩の速度の早い分野では、3年前の話題でも詳しい人からしてみれば「昔」の話題となるでしょう。しかし今も携帯電話など持たず、電話といえば黒電話しか使っていない人もいるわけです。そういう人からすれば今でもダイヤルは「回すもの」です。また、相手が近い業界の人だからと言って油断はできません。同じ生物系の人でも、たとえば植物の生態を専門にしている人から見れば、10年前のゲノム解析技術がまだ「今」の技術に見えているかもしれません。

さて、この話題を踏まえつつ、文章を書く話に目を転じてみましょう。

上司への定例報告書などならいざしらず、多くの文章は不特定の人々に読んでもらうために書かれるものです。その人達は、年齢も職歴も学力も思想背景もバラバラです。ですから、自分が当然に知っていることや自分が当然と認識していることを読者も同じように認識しているとは限らないわけです。

常識の適用範囲はあなたが期待しているより常に狭いと考えておくべきなのです。ことに「素人さんに何かを分かってもらう」ことを目的とした文章を書く時には、このことを更に深く肝に銘じておかなくてはならないでしょう。

専門用語や業界用語(ジャーゴン)を不用意に使うなど以ての外。しかしチェックすべきは単語だけではありません。ある狭い世界でだけ通用する独特の「言い回し」というものがあります。さらに業界人のお約束を知らなければフォローできない論理展開というものもあります。いずれも安易に使うべきではないし、やむを得ず使うときには補足説明が必要です。

「分かってない人のために書く」のは難しいことです。その技術は、実際に読者からのダメ出しを繰り返し受け、首を傾げなからも何度も書き直すという経験を積まないとなかなか習得できるものではありません。はじめは「えっ、そんなこともわからないの??」という戸惑いの連続です。しかし、この疑問文こそ禁句であるということを理解しなければなりません。

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